皆さんこんにちは。
当サイトライターの肥後守氏による記事「【西国巡礼】西国三十三所第21番札所。身代わり観音の穴太寺」はご覧いただけましたでしょうか。
その穴太寺の付近にあるとされる穴太城跡を、今回は探索してきました!
応仁三年頃に亀岡に存在したとされる穴太城
亀岡文化資料館で調べた書物によると穴太寺のすぐ近くにあるみたい。その他には、
・小幡神社の裏にある。
・応仁・文明の乱の際、東軍方の野田秦忠は、応仁三年に西軍に破れ「丹州穴太」に退いた。
・その後、そこを拠点に転戦した。
その他いろいろ書いてありましたが割愛・・・。
まずは穴太寺付近を探索
穴太寺については肥後守氏の記事をご覧ください。
亀岡文化資料館で調べた小幡神社を発見!
犬飼川にかかる橋を渡ると、資料館で見た書物通り小幡神社が現れました!
詳しい説明は下記をご覧ください。
「和銅元年(708年)」えっ、飛鳥時代!?とても歴史のある神社なんですね。当然ながら今回の穴太城よりも古いですね。
境内はとても手入れがされている様子でした。とりあえず世界平和を祈願することにしました。
肝心の穴太城跡探索!
資料館の書物によると、この小幡神社の裏が穴太城ということになるのですが、このような感じです!
いわゆる雑木林という感じです。どこかから登るにしても結構険しそうだったので、中に入っての調査は断念となりました。
穴太城の調査終了
こうして現代の穴太城の風景をご覧いただきましたが、実際のところ雑木林しかないという結果でした。山です。
ただ、この雑木林というのも現代での真実であります。木を切って大規模な調査とかしたら当時の何かが見えてくるのかもしれませんが、現代の姿から過去を想像するというのも一興ではないでしょうか。今は雑木林になっているこの場所に、その昔に城があったのですね。
穴太寺、小幡神社の付近に城を構えるという事にも何か意図があったのかもしれませんね。
亀岡市に存在した穴太城と犬飼城の関係は?
今回紹介した穴太城は、明確ではないですが応仁三年頃に出来たとされています。ということは、前回の城跡シリーズで紹介した「犬飼城」と同じ時期(犬飼城は応仁元年)に存在していたといことになるんですね。
そして距離的にも遠くはなく直線距離にしても3キロくらいである。
しかも穴太城と犬飼城はグーグルマップで見てみると同じ山に存在していることになりますね。当時はどのような関係だったんでしょうかね・・・。
それにしても下記の画像を見てみると
穴太城のポイントは曽我部、ひえ田野、大井町方面が監視できる良いポイントなのかもしれないですね。でもそう考えると、現在の西山神社?平和台公園?西山展望台?のあたりが全体的に見渡せて良さそうです。
関連・周辺記事
・犬飼城跡|【城跡シリーズ】亀岡曽我部町にある山の上にそびえた山城
・穴太寺|亀岡市の観光名所・西国巡礼三十三所第21番札所。身代わり観音