西国三十三か所 日本には古くから観音信仰がある。
観世音菩薩は現世の罪業を消し去り、極楽浄土へ連れて行ってくれるとして衆生を救う現世利益を与える仏として民衆の信仰を集めた。
観音経によると衆生を救う時には、観世音菩薩は三十三の姿に変化をするという。
ここから三十三か所の観世音菩薩を本尊とする寺を巡礼することにより功徳を得て救われ極楽往生できるという信仰が生まれた。
これが西国三十三か所だ。西は岐阜県から東は兵庫県までの西日本の三十三か所の寺を巡礼する。四国のお遍路などと同様の行為だが、日本で最も歴史ある巡礼行といわれている。
この西国三十三か所のひとつが亀岡の曽我部町穴太にある穴太寺である。
三十三か所の二十一番札所となる。この巡礼を歌う、お盆やお葬式におなじみの御詠歌では、ちょうど折り返し地点となり、穴太寺が終わると休憩を取ることが多い。おなじみのお寺である。
亀岡への仏教の広まり
穴太寺が創建されたのは今からおよそ1300年前の慶雲年間(704 – 708)。
ちょうど都が奈良から京都へと移された時期である。奈良の仏教の勢力は強く政治に深入りしてくることも多かった。
時の朝廷はそうした奈良の仏教勢力と距離を置くため遷都を決意し、都を長岡、平安へと移す。そして今日に移った朝廷は南都の仏教勢力とはまた別の官寺を建立するようになり、京都を中心に一般民衆に仏教信仰が広まっていくことになる。
亀岡でも、奈良から京都に都が移ったことで、地理的に非常に都に近くなりその影響を強く受けることとなり、この時期には多くの民衆が相争って官寺の檀家となっている。一種の仏教ブームの到来である。
そうした流れの中で穴太寺が建立されることとなる。
穴太寺の伝説
現在の穴太寺は本尊を釈迦如来、礼所本尊は観世音菩薩であるが、もともとの本尊は観世音菩薩であった。
観音像の建立には「今昔物語集」に収められた面白いエピソードがある。
むかし、丹波の国桑田群に住む郡司が、宿願であった観音像の作ろうと思い立った。京都の腕の立つ仏師に制作を依頼した。
それから三か月後に仏師は美麗な観音像を携えて郡司のもとを訪れる。郡司は観音像の出来栄えを見ていたく感動し、謝礼に名馬と評判の5,6歳の黒馬を与えた。
だが、与えてからその馬が惜しくなり取り返そうと考えた。家来に仏師から馬を取り返すように命じた。家来は篠村の栗林に潜んで仏師めがけて弓矢を射った。
矢は仏師の胸に命中!
仏師は命を落とし、馬は郡司の下へ連れ帰られた。
しかし、殺された仏師の家族からは何の問い合わせもない。不審に思った郡司は家来を仏師の家へやると、そこには命を落としたはずの仏師と、取り返したはずの黒馬が元気そうに暮らしていた。
家来は驚いて郡司の下へ帰ると、いたはずの黒馬は姿を消しており、また仏師の作った観音像の胸には矢が突き刺さり、そこからは血が流れていた。
観音像は、仏師の命を救い、郡司とその家来が殺人の罪を犯すのを、自らが身代わりとなり防いだのだった。
郡司と家来は罪を悔い、髪を落として仏門へと入ったのだった。
以上が、穴太寺の観音像に伝えられた伝説である。
被害者の側の仏師だけではなく、加害者側の郡司や家来も救うという、ありとあらゆる人間を救ってくれるという観音信仰の大本が見て取れる説話である。
穴太寺を訪れて
府道407号線を道なりに進むと広大な敷地の穴太寺が見えてくる。
駐車場は広いけど塗装されていない。
駐車料金は確か500円。近所のおじいさんが暇そうに店番してた。
駐車場を出ると立派な仁王門がそびえたつ。
ちなみに、穴太寺とは反対の方向へ行くと、亀岡唯一の大学、京都学園大学がある(島田紳助も在学してたぞ!)
阿吽の像がお出迎え。
仁王門をくぐって目の前には本堂が鎮座する。
江戸時代の1728年の正月三日に火事で焼失。その後1730年に再建された。
再建時の棟梁は地元の小嶋伝衛門さん。子孫が近所に住んでいるかも。
本堂から渡り廊下で左手側に繋がっているのが念仏堂。
本尊は阿弥陀仏。住宅風の構造だが、正面に比して奥行きが広かったり、部屋の敷居に腰の高さの中敷居を入れて戸を立てていた形跡があるなど、浄土宗系の建築様式となっている。
敷地東側には多宝塔がそびえる。
亀岡唯一の木造の塔で貴重な存在だ。
敷地西側には方丈で受付などがある。そこで御朱印をもらえる。人がたくさんいたので写真は撮らず。どんな様子かは君の眼で実際に確かめてくれ!
ちなみに、最近はそうでもないが昭和の時代にはこの穴太寺では映画のロケが多く行われていた。太秦映画村から距離的にも近く、適度に田舎のため数多くの時代劇が撮られたのだ。
映画の町として栄えていた亀岡だが、映画館なんてものはないぞ!
なお、本堂や念仏堂の中にも有料だが入ることもできる。そこから眺める庭園はまさに芸術的。西国巡礼所として多くの観光客でにぎわうのも当然のことと思うぐらい。
最後に、この穴太寺の御詠歌を載せてサヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。
かかる世に生まれあう身のあな憂(う)やと思はで頼め十声(とこえ)一声
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