馬路町に住む方から、地元の山に「贔屓(ひいき)」と呼ばれる石像が建っているという情報をいただきました。
その方が仰るには、子供のころ(数十年前)に山に見に行ったことがあるが、親にはそこは怖いところなので行ってはいけないと戒められたそうです。
地元の人もほとんど訪れず、今はどうなっているかわからないのでぜひ調べてほしいとの依頼を受けたので、この度、わが亀岡周辺の話題調査隊が調査を行うことに。
場所は依頼者の方の説明である程度は分かっていました。
平の沢池の交差点を亀岡方面へ曲がり、二百メートルほど行き左折。左手にお墓がありますので、そこを通過してしばらくすると山への登り口が見えます。
この道の先、カーブになっているところを曲がってすぐのところが登り口。
道の右手側には広大な田んぼが!美しい!
竹藪は生い茂っているように見えます。
登り口はこのような感じで、ある程度は整備されています。
竹藪の中へ入り、少しだけ進むとすぐにお目当ての贔屓が見えてきます。
趣のある石段を登ると……。
ドンッ!
近くには案内板が立っています。それを読むと・・・。
この辺りを知行地としていた杉浦正職という方の顕彰碑で1711年後に作られたものであることが分かりました。杉浦正職という人物は調べてみると琴曲家であるということが出てきました。旗本ですので江戸に住んでいたのでしょうが、知行地であるこの地にこうした石碑を建てるとは有り難いものです。
贔屓とは、亀趺とも呼ばれ石碑を乗せる台座の部分の亀の姿のことで、首が獣のことが多いようです。詳細は難しくなりますので、ほかのホームページなどで調べていただくとして(;’∀’)
この馬路の贔屓は亀の姿に獣の顔をしているのが分かります。
牙が出ていますね。いかめしい顔です。
石碑の表面には杉浦氏の業績が。
裏面には杉浦氏の詠んだ歌が刻まれています。
しかし漢文には詳しくないため詳細は分かりませんが。
横からとお尻も撮影!
ただ、この贔屓を見ていて気になったのが、上に載っている石碑と、台座の色の違いです。
文字の刻まれている石碑は、茶色く色あせており日々も入っていますが、台座の贔屓の部分は真新しい感じがします。
石質の違いからくるものなのか、あるいは、台座部分だけ後世作り替えられたのでしょうか?
あまり人の通らず、地元の人たちも立ち入らないような場所に、珍しい贔屓と呼ばれる石碑が建っているとは驚きです。
まだまだ亀岡には私たちの知らないものがいっぱい残されているみたいですね。