以前、並河城跡を探索中、法然寺の墓所で大堰川事件との刻印のある墓石を発見した。
こちらの記事→【城跡シリーズ】並河城編
我々調査員は、並河城跡よりもその事件の概要が気になり、一体どのような事件があったのか調査を進めることにしたのであった。
しかし、インターネットで検索してもほとんどヒットせず。
“大堰川事件” 6 件 (0.27 秒)
ためしに漢字を変えてみるが
“大井川事件” 9 件 (0.29 秒)
詳細が分からない……。
亀岡調査隊を名乗っている以上、亀岡の事件を分からないでは済まされない(のか?)。
さっそく調査開始!
大堰川事件を深く調べに亀岡文化資料館へと向かう
困ったときはここ!亀岡文化資料館!
資料館には亀岡の資料がなんでもそろっているはず!
が、大堰川事件について我々が知っているのは法然寺に墓石?が建っているのと、そこの墓碑から大正14年ごろに起こった事件であるということだけだ。
新聞記事で探そうかと思ったのだが、頼りの資料館にはそんな古い新聞は置いていないということ。
それもそのはずで、亀岡独自で発行している新聞はないので亀岡の資料館では取り扱っていないのだ。最近の新聞で亀岡に関係のある記事はスクラップしてあるのもあるが、大正時代はさすがに保存していない。
京都新聞の前身の、京都日出新聞なら京都府立図書館に保存してあるので、そこで調べるしかないとの資料館職員の方からのアドバイスをもらう。ただ、事件の起こった日にちは特定できていない。墓碑には大正十四年二月二十※まで刻まれているのが確認できたが、これは墓石が建てられた日なので、事件の起こった日時が分からない……。
新聞を調べるには正確な日が分からないと難しい。最悪、大正十四年二月二十※日以前の新聞をしらみつぶしにあたらなければならないのか……。
と思っていた矢先、なんと奇跡的に以下の資料を発見!
寺社の文化財等がリスト化された資料に詳細が書かれていた!
しかし、この資料で分かることは、この石塔が供養塔であり、大堰川事件が護岸工事のトラブルで請負人が争った事件で死者が一名出ており、その死者は千本組という建設会社(?)に所属していたということぐらいだ。
結局、亀岡文化資料館でしばらく調査したが↑の資料しか発見できなかった……。
一体、大堰川事件とはどのような事件だったのか。護岸工事のトラブルとはどのようなトラブルだったのか……。謎は深まるばかり……。
今後も大堰川事件の全容を解明するため調査を続けていくことを決意するのであった。
関連
・【城跡シリーズ】光秀に従った武将の居城、亀岡市の「並河城跡」を探訪!
・【大堰川事件を巡る#2】京都府立図書館で調査 資料発見編