藁葺の川東古代村が。。。
以前、当ホームページにて取り上げた川東古代村。
京都縦貫道の千代川ICを降りてひたすらまっすぐ進み、月読橋を越え、亀岡市で二つしかない高校のうちの一つ、南丹高校を超えてしばらく行くと、馬路郵便局の向かい側に、手作り感あふれる「川東古代村」の看板と、まるで縄文時代の古代人が住んでいるような藁葺の住居が現れる。
場所はこちら↓
この川東古代村をこのホームページで紹介記事を書いたのが2018年5月25日。
前の道を通るたびに何となく気になって、様子をうかがっていたのですが、特に変化することもありませんでした。またホームページ上で情報提供は求めたのですが、有力な情報が送られてくることもなく、記憶からも薄れてきたある日のことでした。
2019年8月18日。お盆休みの最終日。
とある用があり、たまたま前の道を車で通りかかって、別に何か変化を求めたわけではありません。ただいつもの癖で、運転しながら横目で川東古代村をみました。
すると、藁葺の家がなくなっているではありませんか!
慌てて車を馬路町の公民館の敷地に入れてUターン!
川東古代村の前に車を止めてじっくりと観察!
川東古代村の木の看板はそのままなのですが、その隣にあったはずの藁葺の住居がきれいさっぱりなくなっています!
その代わりに大量の密集したヒマワリが生えています。
ちょうど8月の中盤。ヒマワリがキレイに咲き誇る時期にはすこし遅すぎます。そのため、ヒマワリは元気なく垂れさがっています。
枯れてしまうのも時間の問題という様子。
ただこのヒマワリは以前にあった藁葺の住居の場所とまったく同じです。住居を取り壊してそこにひまわりのたねを撒いてヒマワリ畑としたのでしょうか?
まさか住居の下から勝手にヒマワリが生えてくるわけもないでしょうし、誰かが意図的に取り壊してひまわり畑へと変えたのでしょうが、いったい誰が?どうして?
しかも、藁葺だったからこそ、「古代村」という名前にふさわしかったのですが、ヒマワリ畑に「古代村」の看板があってもどうして古代村?という疑問を抱いてしまうのでは。
(そもそも藁葺の住居があっても古代村の名称には疑問を抱くかもしれませんが・・・)
どうせなら川東ヒマワリ村とでも名付けたらどうでしょう。いまは狭い範囲にヒマワリが咲いているだけですが、この敷地内一面にヒマワリを植えてくれたら見ごたえもあり、ヒマワリの名所として一躍観光名所化するかもしれません。
馬路町は平の沢池や七谷川のように自然の名所がたくさんありますし、そこに川東の小学生たちが作ったひまわり畑と銘打てば興味がわく人も少なくないかと思いますが、いかがでしょうか。。。やはり自然豊かな馬路町付近ですので、と会にはない、そうした自然をアピールしていかなければ。
しかし、藁葺の住居もめったに見れるものではありませんし、意外に独特な雰囲気も出ていたので面白かったのですが、それをどうしてつぶしてしまったのでしょうか?きちんと川東小学校の卒業生たちの許可を取ったのでしょうか?
そして、なぜヒマワリ?
なにかご存知方いれば、情報提供お待ちしております!