南北朝に築かれた歴史ある城
1339年。南北朝時代に、北朝方の細川頼春が築いたとされる勝竜寺城。
勝竜寺城は京都盆地の南西部の南西部の長岡京市に位置し、京都と大阪を結ぶ西国街道の要所であり、日本史の変動期には常に重要な拠点として歴史の表舞台に現れる城であった。
勝竜寺城の戦い、天王山の戦いなど特に戦国時代に軍事拠点として多くの武将たちの戦いの舞台とった。
岩成友通、細川藤孝、細川忠興、明智光秀などの武将たちが城主を務めるが、本能寺の変後荒廃が進み、結局江戸時代初期に廃城となった。
1992年に、長岡京市は勝竜寺公園として周囲を整備し、現在のような模擬櫓などが建築された。
勝竜寺城公園は、日本の歴史公園100選に選べれるなど市民の憩いの場所として市民に愛されており、当地では毎年長岡京ガラシャ祭のメーンイベント会場として活用されている。
細川忠興・ガラシャ所縁
戦国時代、勝竜寺城の城主だったのが細川忠興。彼の妻が細川ガラシャ。明智光秀の娘「玉」であり、忠興との結婚式は、勝竜寺城にて盛大に行われ忠興、お玉夫妻は新婚時代をこの勝竜寺城にて仲睦まじく過ごしたと言われている。
ガラシャの父、明智光秀が本能寺の変を起こし、主君である織田信長に叛旗を翻したため、娘ガラシャは悲劇的な最期を遂げることになる。
そんなガラシャ所縁の城として、勝竜寺城公園には忠興、ガラシャ二人の像がある。
また公園内には地下水をくみ上げている水道水があり、この水を「ガラシャおもかげの水」と名付けている。
周囲は堀で4辺を囲まれており、そこには鯉が優雅に泳いでいる。時折、近所の親子が鯉に餌を与えるなど、微笑ましい姿をのぞむことができる。
狭いながらも、駐車場もある。だが、平日休日問わず、多くの観光客が訪れているために駐車場がいっぱいになることも珍しくない。
勝竜寺城前の道に路上駐車をしている観光客も見られるぐらいである。
案内板に観光ポスト。自由に意見を書いて投函できる。市民の声を聞いてこれからの勝竜寺城に活かされることを願う。
南側入り口。昔はこの先に孔雀が飼われていたのですが、しばらく前にお亡くなりになられた。
外観がお城の管理棟。1階が休憩室。2階が展示室となっている。どちらも無料で利用可能。
一階の休憩室にはこうした展示品がいくつか並べられている。
敷地内は広く公園状になっている。芝生も広く寝転がって遊ぶこともできる。長岡京らしく竹林があるのも面白い。
地下水をくみ上げた水道。一人20リットルまでという縛りはあるものの自由に持ち帰ることができる。
勝竜寺城といえばやはり細川忠興とガラシャ夫妻。二人の愛睦まじいい像も公園の一隅に置かれています。
隅櫓。お城の北東隅にある。ベンチもあり休憩所も兼ねている。
入園料は無料で、だれでも入ることができ、観光客、地元の市民問わずだれもがこの美しい自然と悠久を感じさせる歴史を楽しんでいる。
長岡京には勝竜寺城をはじめとして、ほかには古代の長岡京跡や、勝竜寺城から数百メートルしか離れていない勝竜寺もある。歴史ある土地だけにそれら過去の想いを馳せて公園内を散策し、長岡京市を巡ってみるのも楽しいだろう。