城下町を歩くシリーズ第二弾!
前回古世親水公園を訪れた我々は、次の目的地へ向かって歩き出すのであった!
道のりは以下の通り。
亀岡高校のそばに
すると見えてくるのが亀岡高校。
生徒たちがグラウンドでサッカーをしている。
実は何を隠そう、私は亀岡高校の卒業生なのだ。おお、なつかしきわが母校……。
青春時代を思い出しつつも、グラウンドに沿って東へ歩くとすぐに見えてくるのが王地山 稲荷大明神だッ!
敷地内の端に目立たずに鎮座しているのがそれだ。
この稲荷大明神、別名を負けきらい稲荷と呼ばれる。
いわれはというと……。
近くに建てられた看板に書かれているが、要約すると相撲大会にスッゴイ強い力士が現れたので褒美をやろうとしても姿が見えない。調べてみると、王地山稲荷の化身であったことが分かり、それ以来、勝利の守護神として信仰されるようになったとのこと。
ちなみにこの王地山稲荷は、1747年に丹波篠山の領主であった松平信岑(のぶみね)が、亀山藩へ転封されるさい篠山にあった稲荷大明神を亀山城にも勧請したことに始まる。
篠山の稲荷大明神にも上記の力士の話と類似の話が伝わっており、その地でも勝利の守護神としてまつられているようである。
有名力士の奉納
拝殿の中には、有名力士が奉納したであろう手形や優勝の写真などが飾られていた。
(写真は拝殿の中なので失礼かと遠慮しました)
名前を挙げると「千代の富士」「曙」「白鳳」「稀勢の里」……。
名だたる名力士たちもこの地を訪れ勝利を祈願したのだ。
横綱になれたのは当然彼らたちの実力によるものだが、この負けきらい稲荷の力も少しは手伝っていたかも。
ほかにもスポーツ選手の優勝祈願や、就職祈願などの札も貼ってあり多くの人々がここで様々な祈願をしているようである。
なにか勝負事がある時にはここで神頼みをしてからにしてみては。
通夜稲荷大明神
王地山大明神を後にして、西へと細い路地を進んでいく。
なぜ海の家の看板が???
立派な木も生えている。近くの看板によると……
江戸時代には武家屋敷が立ち並んでいたそうである。この木もその時代を見ているのだろうか。
途中、右手側に神社発見。
民家の裏手にあたりやや寂れているが、調べてみると、通夜稲荷大明神といい、こちらも王地山稲荷大明神と同じ力士の説話が伝わっている。
ほぼ同じ説話なようで、王地山稲荷大明神の説話がこちらに伝わってきた可能性もある。
城下町の香り
通夜稲荷大明神を通り過ぎ北上。そして亀岡高校を沿うようにして東へ向かいクニッテルフェルト通りへと戻る。
途中、いくつもの看板を見つけた。
こうした看板を見ると、過去にはこの一帯は城下町だったんだという実感がわいてくる。
今では何でもないような住宅街が広がっていたりするが、かつての風景を思い浮かばせてみるの面白いだろう。
特に地元の人ほど身近なところを気にとめずに生活をしている。たまには自分たちの住んでいる土地をゆっくりと歩いてみてもいいかもしれない。思いもがけない発見に胸躍らされることだろう……
そうして我々の城下町の散策第一弾は終了するのであった。
次回はどこを歩こうかしらん。